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チョコレート色に染まれ!  writer by ひより


 間宮琴子と藤堂真人は、真人が誕生したその三か月後に琴子が生まれた瞬間からの幼馴染である。
 シングルマザーとしてお腹の中に琴子をいれた彼女の母親は、越してきたアパートの近所にある比較的裕福そうな家から、夫に支えられながら幸せそうに乳飲み子を抱きかかえて出てきた真人と真人のその母親を見て、ぼんやり思った。
「うちの子も将来あんな風な金持ちにするために、あの子供から名前を頂戴しよう」
 キャバクラ勤めの琴子の母親は、ギャルギャルしい見た目とは対照的な誠実な態度で、近所の公園を散歩していた真人の母親に接近し、手練手管で親しくなった。そして子供の名前を聞き出すことに成功する。
「まあ、マコト君とおっしゃるの? 素敵なお名前! うちの子は女の子だってあらかじめ教えられているから、マコトくんからもじって『コトコ』にします」
 さてこれを聞いた真人の母親が、薄ら寒いものを抱いたのは言うまでもない。

*   *   *

「あーしーたー」
 真人が歌いながら鍵をあけ、挨拶もなしに琴子の家へと入ってきた。夜の仕事の琴子の母は、当たり前のように不在である。
「バレンタイーン」
「そうだねえ」
「おーれの髪ー」
 真人はまだまだ歌い続ける。
「チョコレート色ー」
「そうだねえ」
 ゴムベラで湯煎したチョコレートをねとねと混ぜながら、琴子は料理本から目をそらさず答える。
 六畳二間の小さなアパート。ここに琴子とその母親が二人で暮らしている。キャバクラ時代を経た琴子の母親は、現在銀座のチーママとなり、ママの地位を狙っているとかいないとか。
 ところが娘の琴子ときたら、驚くくらいに地味だった。顔立ちは母親に似て悪くないものの、低い位置で二つに結った黒い髪、膝にかかる微妙な丈のスカートに、無難な黒いセーター。集合写真では迷わず「その他大勢」と分類してしまいそうな地味具合だ。
 だってまだ、一年生だし。中学校って、先輩に目をつけられたら怖いんでしょ? だったら別に、スカート長くてセーター黒くてもいいや。それが琴子の言い分である。
「なに作ってんの?」
 真人が猿みたいにぴょこぴょこしながら、落ち着きなく琴子の周りをうろうろする。
「カップケーキ。これが里奈ちゃんと佐久間ちゃんとケイちゃんにあげる分で、こっちが西脇さんと小早川さんと林ちゃんにあげる分で、あれが家庭科のエリカ先生と担任の桃子先生とあとこれマコちゃんのお母さんに」
「えー、俺、ケーキとか嫌いなんだけど。なんかもそもそして口の中ぱっさぱさになる」
「じゃあ、マコちゃんには原材料をあげるね」
 無表情に板チョコを差し出した琴子に、真人は地団駄をふんだ。
「つまんねえええ」
「こら。下の階の人に響くから静かにして」
 対する真人は、あの清楚な母親と真面目そうな父親から生まれたとは思えないほど、齢十三歳にして髪を茶色く染め、ピアスをあけたチャラ男へと変貌を遂げていた。琴子の母親はそんな真人をたいそう気に入っていて、ことあるごとに琴子へ向かって「玉の輿よ、逃すんじゃないわよ、マコトより金持ちじゃないとあんたとの結婚を認めないからね」と口を酸っぱくしている。
「ねー、コト」
「何?」
 ねとねとねと。
「明日学校でチョコちょうだい」
「やだっ!」
 それまで無表情だった琴子が、急に眦を吊り上げた。対する真人は悲しそうだ。
「なんでだよお〜〜」
「マコちゃんこそなんでなの」
「ふつう学校だろ! 学校で校舎裏で照れながら『ハイ』だろ? なんでそのくらいしてくれないんだぁぁあぁ」
「やだ! 絶対やだ! 超やだ! 家であげればいいじゃん、学校では私に話しかけないで!」
「何それひでええええ」
「マコちゃんがそんなちゃらちゃらしてるからでしょっ!」
 温度調整をしながら丁寧につくりあげていた作業を止め、琴子は部屋の奥へ引っ込んでいき、すぐに何か小箱を手にして戻ってきた。
「良いですか、マコちゃん」
「はい」
「そこにお座りください」
 テーブルを促されて、真人はしぶしぶ、席につく。二人暮らしのこの家のテーブルが四人掛けなのは、こうして真人がしょっちゅうやってくるからだ。
 向かい合って座った琴子は、中年オヤジのように眉間にしわをよせ、くどくど説教をした。
「世の中、真面目が一番です」
「はあ」
「少し前、人は見た目が九割という本がはやったそうです。まったくその通りです。というわけで、はい」
 どん。
 置かれたのは、染髪剤だった。「髪色戻し★驚くほど真っ黒に! 徹底的に黒くします! 見事な漆黒間違いなし!」とアオリ文句がある。
「なんだこれは……!」
「これでマコちゃんの髪を黒くしましょう、大丈夫、痛くありません」
「知ってるよ! つーか、やだよ! 俺はこのチョコレート色を気に入ってるんだー!」
「私も手伝うから大丈夫だよ」
「やだっつーーーの!」
 わあああ。真人は大げさな身振りでもう一つの部屋へと逃げた。そのまま押入れの中へと引っ込む。
「なんでよう。だってマコちゃん、まだ十三歳だよ、子供だよ、親の金で遊んでるんだよ?」
「うるせー! 知るかー! 俺は俺の小遣いで髪染めたんだから文句ねえだろー!」
「これだからぼんぼんは……。ねえ、私もなけなしのお小遣いで髪色戻し買ったんだよ、無碍にしないでよ」
「なんでだよ! 茶色い方がかっこいいだろ!」
「そういう問題じゃなくてー」
「じゃあ、どういう問題なんだよ! もーコトしつこい!」
 バン! と押入れのふすまが叩かれて、琴子はつんと顎をあげた。
「あっ、そう。わかりました」
 立ち上がり、カップケーキを作る作業に戻る。
「じゃあマコちゃんにはチョコあげません」
「えっ」
 真人がすっと、ふすまから顔を出した。
「おじさんとおばさんにはお届けするけど、マコちゃんのぶんはなし」
「なにそれ……ひどくね? 俺だけくれないの、ひどくね?」
「だってマコちゃんが髪をもとに戻してくれないんだもん。そっちの方がひどくね?」
「そっちの方が間違いなくひどいっつーの!」
「学校で渡すとか、論外。私はマコちゃんを取り巻くあのギャル軍団と関わり合いになりたくないの。いっつも誰かしらいじめてるし、無視してるし、巻き込まれたら死ぬ。マコちゃんのせいで巻き込まれたんだったら、マコちゃんを殺す」
「お、俺のせいじゃないのに……」
「知りません。おひきとりください」
「う……ううう」
 真人は押入れを飛び出して、琴子に向き直った。しばし何かを言いたそうに口を動かしていたが、やがて怒ったように玄関へ走っていく。
「コトのばかやろおお! 人を見た目で判断してるのはお前だああああ! 今にみてやがれ、絶対学校でチョコを受け取ってやるうううううう!」
 叫びながら、出て行った。雲行きは怪しい曇り空だ。

*   *   *

 真人がちゃらちゃらしだしたのは、中学に入ってすぐだった。
 育ちがよかったせいか、女子に対して優しくすることをためらわない真人にはすぐ人気が集中し、屈託のなさも加えて、男子からも慕われていた。それが次第に、悪い先輩たちに可愛がられるようになり、髪を染め、ピアスをあけて、夜遊びにはまり、自称彼女が次々と現れる始末……。
 限界である。地味に、目立たず、盛り上がらないながらも平和に、をモットーにかかげている琴子の将来の夢は公務員。母が苦労している姿を見ていたせいか、ギャルにだけはなるまいと自分を戒める日々である。一に勉強、二に勉強。三四がなくて、五に真面目。というわけで真人のようなギャル男とは、大変申し訳ないが人種の隔たりを感じる次第。
 とは言え、ずっと一緒に育ってきた真人を嫌いになれるはずもない。
 なので琴子は、今ならまだ間に合う、とばかりに、しつこく真人に髪色戻しを勧めるのであった。

*   *   *

 翌日は雨だった。
 いつもの待ち合わせ場所に真人の姿がなかったため、彼の家は迎えに行くと、真人の母親は困ったように息をついた。
「ごめんねぇ。あの子、部屋から出てこないのよ。遅刻していくってきかなくって……まったく、どうしてあんな風に育っちゃったのかしら」
 頬に手をあて、藤堂夫人はどこか悲しそうに琴子を見た。
「本っ当に琴ちゃんは真面目でいい子よねえ。琴ちゃんのお母さん、琴ちゃんと真人を交換してくれないかしら。私時々、琴ちゃんが本当の自分の子供で、真人が琴ちゃんちの子なんじゃないかと思うのよ。だってあの子、どっちかって言うと琴ちゃんのお母さんに似てる気がしない? なんていうかこう、ファッションとかそっちの方面」
「はい、わかります」
「そうでしょお? だから赤ちゃんの時に入れ替えられたのかしら、とも思ったんだけど、でもうちの子男の子で琴ちゃんは女の子だものねえ。間違えようがないのよねえ。どうしてかしら」
「どうしてでしょうねえ。あ、おばさん、これおじさんとおばさんにバレンタインのおすそ分けです」
「まあ! なあに、これ」
「つまらないものなんですけど」
「カップケーキね! おいしそうじゃない、琴ちゃんが作ったの? ああ、どうして真人も琴ちゃんみたいにきちんとしてくれないのかしら。待って、琴ちゃん。雨でしょう、濡れちゃうわよね。学校まで車で送ってあげる」
 藤堂夫人の愚痴を聞きながら、琴子はまんまと学校まで歩かずに、黒のフォルクスワーゲンでたどり着くのだった。

「雨だねー」
 友人が窓の外を眺めながら言う。
「そうだねえ」
 答えながら琴子は、綺麗にラッピングしたチョコカップケーキの数を数えていた。全部数え終えてから、一つぶん多いぞ? と首をかしげていたところ、昨晩の自分の決意を思い出す。
(そうだった。一応エサは常に携帯すべしと、マコちゃんの分のチョコも用意したんだった……)
 当の真人が学校へ来ていないのなら、渡しようがない。だったら後で渡せばいい。どんな形にしろ、真人は食べ物に弱いので、渡せばきっと機嫌を直してくれるだろう。
(せっかくわざわざマコちゃん用に、生チョコを作ったんだから。機嫌をなおしてもらわないと困る)
「ねえ、琴ちゃん。はい、友チョコー」
「わあ、ありがとう! じゃあこれ私からも、お返し」
「なになに?」
「カップケーキだよ。ケイちゃんのはどんなの?」
「わたしはトリュフ」
「おいしそー」
 きゃあきゃあ。
 ああ、これである。琴子は至福の時を迎えていた。
 きゃっきゃうふふ! これが本来の正しい女子中学生の在り方だ。こうやって教室の隅っこで、地味ながらも目立たず、平和に、安穏と暮らしていくことこそが琴子の幸せ。それなのにあの真人ときたら、私の平和を乱そうとして、まったくもってけしからん。
 と、その時。
 教室にギャルが飛び込んできて、同じくしてギャルな仲間に大声で話しかけてきた。
「ねえ! 真人きたよ!」
「!」
 ぎくり。
「マジで! チョコ渡さないと」
「それがさあ、びびったんだけど」
「なに?」
「あいつ髪の毛黒くしてんの!」
「ええーーっ!」
(ええーーっ!)
 仰天した刹那、教室に真人がやってきた。
「俺がなんだって?」
「ぎゃー! マジで黒いんだけど!」
(ぎゃー! ほんとだー!)
 まごうことなき黒髪である。相変わらずピアスはつけたままだし、この寒いなか第三ボタンまで留めずに白いセーターの袖をだぼだぼさせながらちゃらちゃらしているが、とにもかくにも黒髪である。真っ黒だ。
 真人はギャルたちの言葉におざなりに応じてから、琴子を見つけ、フフンと不敵に笑ってみせた。
『どーだ! チョコよこせ!』
 頭の中に声が聞こえてきそうなドヤ顔である。
 琴子は唇をわななかせた。
 これから学校で彼にチョコをあげないといけないことに対して、というよりも、チョコの持つ威力にわなないていたのだ。
(こんなことなら、ピアスも靴のかかと踏むのもセーターの袖つかむのもはみパンも何から何まで禁止しておけばよかった……!)
 ああ、惜しい機会を逃したものだという思考は、藤堂夫人と大差がない保護者的見地からみたものである。

 とは言え、約束は約束。
 なるべく学校内では、同じクラスであるにも関わらず関わらないようにしている真人の机のそばへ、不承不承な煮え切らない気持ちのまま、琴子はラッピングした生チョコを持って歩み寄った。
「まさか、ほんとに黒くするとは……」
「言っただろ、絶対にチョコもらってやるって!」
 満面の笑みでピースサインをした真人。それが珍しかったのか、女子たちがわずかにざわめきながら遠巻きに二人を見守っている。というよりも見張っている。
 牽制するような雌豹たちの視線が恐ろしかった琴子は、真人に何も言わずに踵をかえして教室を出た。慌てて真人が追いかけてくる。
「ねえ、ちょっと、チョコは? 約束は? ねえねえねえ」
「わかってるってばもー!」
 とりあえず真人と距離をとりながら人気のないところへ……、と思いながら歩いていると、必然的に早足になった。真人も早足で追いかけてくるため、最終的には駆け足だった。
「なんで逃げるー!」
「逃げてないってばー!」
 ようやくたどり着いた昇降口。普段なら人でごったがえしているが、雨風が吹き込んでくるせいか、めずらしくひとけはない。
「なんで走るんだよおお……」
 全力疾走で駆けつけた二人は、息を荒くしながらにらみ合うようにして立っていた。
「約束やぶるなんてずるいぞ! コト、今日から俺に説教する権利ねえ!」
「やぶらないってば。はい」
 はあはあしながら、ちっとも恥じらいを見せずに、琴子は真人へとラッピングした包みを差し出してみせる。
「いい子ね、マコちゃん。これらもきちんと真面目に生きていくこと」
 よしよし、と頭をなでられて(二人の身長に大した差はないので琴子に背伸びの必要はない)、真人一瞬きょとん、とした後、すぐに嬉しそうに瞳を輝かせた。
「カップケーキ?」
「ううん、マコちゃんのために生チョコ用意した」
「やったああ!」
 跳ね上がって喜ぶ真人。
「ありがとう、コト!」
 本当はそのだらーんとどこまでも伸ばされたネクタイだとか、ブレザーとごまくりあげられた袖とか、こまごまといろいろ矯正したいところだけれど、ひとまず今日は、こんなに喜んでくれるのなら、まあ、いっか。そう琴子が苦笑した、その矢先。
 強風が雨をまじえながら二人に襲いかかってきた。
「ぶわ!」
「!」
「ぬ、濡れたー!」
「靴箱行こう、靴箱。あーさむい」
 真人のすそをひっぱって引きずるようにしながら校舎内へと戻ったとき、琴子はふと、彼の変化に気が付いた。
「…………」
 そしてすぐに、眉間にしわをよせた。
「マコちゃん?」
「うん?」
「その髪はどうやって染めたの?」
「えっ?」
 真人の髪の色が、剥げていた。
 黒髪かと思っていたその間から、水にとけるようにしてとろとろと、染料が落ちてもとの茶髪が顔をのぞかせていたのである。
 ただならぬものを感じたのか、真人は冷や汗を流しながら琴子の問いに答えた。
「ス、スプレーで……だめ?」
「染める、っていうのが、チョコをあげる約束だったよね? スプレーで一瞬だけ色をかえることは、果たして本当に染髪かな?」
「コ、コト、あの」
「かえして」
 わずかな隙をついて、琴子は真人の手の中からチョコの包みをひったくった。
「これは私が食べます」
「ええっ! ちょっと待って、もう一度話し合」
「もうあげない」
「えっ」
「絶対あげない」
「そん」
「黒髪に染め直してピアスの穴ふさいで踵ふむのやめてセーター黒にしてブレザーまくるのやめてネクタイきちんととめてるまで、絶対にあげない」
「条件増えてる! 増えてるだろ、コト! 待ってよ、おーーい!」
追いかけてくる真人を振り切るようにして、琴子はさっさと教室へと戻って行った。
「教室で話しかけたら、もう絶交だから!」

 

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